Memorie’s scenery 1

思い出は風景

私は小さい頃、石川県の小松に住んでいた。母方の祖母が大きな畑を所有していたので、よく祖母に連れられ畑仕事を手伝っていた。大きな山々に囲まれた静かな場所だったので、風もなく、 時折魔法の模様のような木の葉が揺れがなければ、描かれた絵の中にでも迷い込んだ感覚になった。当時通っていた幼稚園では、コミュニケーションが苦手で友人が出来なかったので、こういった人里離れた場所はとても心が落ち着いて好きだった。 そんな山奥の畑である夜、とても大きな女性を見た。それは山をも越える、巨大な”裸体”の女性であった。

彼女は私の言ったことをすべて肯定してくれる。彼女は”友人”であり、”先生”であり、”神様”のような存在だった。私はその女性の存在を、当時の友人に伝えたが、誰も信じてはくれなかった。最終的には友人はどういう訳か私を避けるようになり、友人が一人もいなくなった。

その女性を見ることが出来た場所は全部で3箇所。そしてそれぞれに体系と髪型の違う女性がいた。全部で4人。特に”36°14’32.2″N 136°31’23.0″E(座標)”のポイントで見たセミロングの女性は、未だに夢に出続ける印象的な人だ。

現在は残念な事に、当時砂利だった道もコンクリートになり、生い茂った木々も沢山切られていたりしていたので、大きく状態が変わってしまったが、面影はわずかに残っている。大人になった今現地へ再び足を運んでみたが、当時のようにその女性を見ることはない。夢に時々出てくる程度である。見なくなったのは中学生に入った頃だった。理由はわからないが、それが”「幻覚」であったのか「妄想」「妖怪」の類であったのかは定かではない。だが、サンタが本当に実在している。と信じている人がいるように、私は彼女の存在を未だに信じている。

現実と仮想といった言葉があるが、私は仮想の延長線上に現実があると考える。つまり長期的に安定した仮想が現実であり、共同体が共通認識できる現実はそもそも存在していないのではないか。私が幼少期の頃に繰り返し体感していたあの大きな女性に出会うというエピソードは、未だに私にとっては安定した仮想として、脳内に保管されている。リアルだった。彼女がどうして私の目の前に現れたのか、またどうしてそのような存在を作り上げたのか(仮定説)。そういった事を調べ続けている。